「10の奇妙な話」 ミック・ジャクソン

 書店で本を選ぶとき、「最初の一文」と「あとがき」を必ず読むことにしている。あとがきは、時折、ネタバレを含んでいるが、気にしない。面白い本は、ネタバレしていても面白いし、そうでもない本は、ネタバレしていなくても、結局そうでもない。

 

十篇の哀れな物語(?)

   本書は二〇〇五年に刊行された、ミック・ジャクソンの短編集”Ten Sorry Tales”の邦訳版である。”十篇の哀れな物語”という名のとおり、どこか物悲しく、どこか切ない奇妙な短編ばかりが収録された本書だが、デビュー作・・・で著者が見せた強烈なユーモア・センスは、本書でも健在である。 [訳者あとがき]

 和英辞書を引いてみる。「Sorry」には、ろくな意味がない。"哀れな"以外にも、"気の毒な"、"かわいそうな"、"残念な"、"みじめな"、"みすぼらしい"など、後ろ向きな意味ばかり。しかし、本書の登場人物のほとんどは、これらの意味のどれにも当たらない。ある意味では幸せだし、幸せでなくても、少なくとも不幸ではない。

 

眠り続けた少年とジャーヴィス夫妻

  本書において、ピアーズ姉妹は通りすがりの青年を溺死させ、少年は十年間眠り続け、モリス氏は地下室でボートを作り、バクスター・キャンベルは蝶を修理し、ジャーヴィス夫妻は隠者を募集し、4Bクラスの子供たちは宇宙人からボーウェン先生を救出し、ギネス・ジェンキンスは穴を掘って骨を集め、フィントン・ケアリーは母親と喧嘩して森へ家出し、ウッドラフ一家は棺にまたがって川を渡り、セルマ・ニュートンはボタン泥棒と対決する。

 

 10篇の登場人物の中で、結末を選べなかったのは、眠り続けた少年とジャーヴィス夫妻の二組。確かに、彼らは「Sorry」かもしれない。ただ、他の登場人物は、自ら結末を選択していて、たとえ幸福な結末でなくても、不幸だとは思えない。なぜ、著者は、そのような登場人物をまとめて「Sorry」としたのだろう。いまいち腑に落ちない。

 

友達になりたくない

 あらためて、訳者あとがきを読み返す。

 ジャクソンは二〇一〇年に、・・・インタビューにおいて、創作活動と経済活動の両立の難しさを語っている。ロマンス系などのいわゆる売れ筋に関してはいささか冷めた目で見ているところがあり、どうやら「読めば分かるし楽しめる」という本ばかりが好まれる現状には、作家として危機感嫌悪感を抱いているようだ。[訳者あとがき] 

 ああ、これは、めんどくさい人間だ。

 いくら売れてはいてもロマンス系の作家に対しては「軽蔑している」と公言していることからも、自分から読者の理解やニーズに合わせて部数を稼ごうとしたり表現を曲げたりすることはしない骨太の作家であるようだ。 [訳者あとがき] 

 無理だ。近くにいたら、そっと立ち去りたくなるタイプだ。友だちになりたくない。

 

 そんないけ好かない著者の作品なのに、時折、読み返したくなる。こういうパターンは結構悔しい。今日も、そんな悔しさを少し感じながら、再読した後で、ウッドラフ一家が川を渡るシーンをもう一度読み返した。ああ、やっぱり悔しい。

 

 

<目次>

1.ピアース姉妹 The Pearce sisters

2.眠れる少年 The boy who fell asleep

3.地下をゆく舟 A row-boat in the cellar

4.蝶の修理屋 The lepidoctor

5.隠者求む Hermit wanted

6.宇宙人にさらわれた Alien abduction

7.骨集めの娘 The girl who collected bones

8.もはや跡形もなく Neither hide nor hair

9.川を渡る Crossing the river

10.ボタン泥棒 The botton thief

 

 

10の奇妙な話

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